カテゴリー: Opinion

  • なぜAIはウソをつくのか、シンプルな理由

    なぜAIはウソをつくのか、シンプルな理由

    AIが「ウソをつく」という現象は、実はAIの気持ち・立場になって考えれば簡単に理解できることだ。

    AIはどのような立場にあるのだろうか?

    それは、解答が4択のマークシートを解いている受験生のような気持ちに近い。受験生は、問題の答えがわからなくても、空欄のまま提出するわけにはいかないから、勘でマークすることがあるだろう。そして、それが間違いとなる。その時の心境は、「どうせ間違うなら勘でマークしておこうか!」といったところだろう。また、4択の中で「これは絶対間違いだな。じゃ、残りの3つの中から適当に選ぼう」といった選択肢の絞り込みも行うはずだ。

    AIの「勘」と「間違い」

    AIもこれと同じことをしているのだ。

    AIは、学習データから得た正答確信度の高い情報を持っていれば、もちろん正しく解答する。しかし、その質問に対する正答を知らなければ、あるいは確信度が低い場合には、勘に頼って解答する。この「勘」というのは、AIが持つ膨大なデータと統計的確率に基づいて、最もそれらしい、あるいは最も自然な答えを導き出す試みだ。

    その結果として導き出された解答が、現実の正答と異なっている場合、人間からは**「ウソ」**をついているように見えてしまう。

    結局のところ、AIが「ウソをつく」ように見えるのは、正答を知らない、または確信度が低い状況下で、何かを答えようとするAIの仕組みによるものだ。正しく解答できなければ、それは間違いとなり、人間にとっては「ウソ」となる。ただそれだけの話なのである。


    AIの「ウソ」とは、正しく答えようとした結果の間違いである。

  • iOS26にみるデザインもプログラミングも回帰する話

    iOS26にみるデザインもプログラミングも回帰する話

    iOS26に搭載されるというデザインテーマ、「Liquid Glass」は、15年ほど前のWindows Vistaで採用されていた「Windows Aero」そのものに見える。AppleがMicrosoftを真似したと受け取られかねない事態だが、時代背景が異なるため、単純な模倣とは言い切れない。


    デザインの回帰とDPIの進化

    Vista時代のPC画面のDPI(当時は主に100DPI)は肉眼でドットが確認できるレベルだったが、現在のiPhoneは460ppi(DPIではなくppiという点も違いだ)。このDPIの違いこそが、透け透け感の表現力、ひいては使い勝手に大きな差を生む。Apple側から見れば、高解像度化により「透け透けデザインを適用する土壌が整った」と捉えるのが自然であろう。

    Vista Aeroは先進的すぎた!

    MicrosoftがVistaでシースルー(透け透け)UIを採用した背景には、「使いやすいデザイン」という名目があったものの、本質的にはGPUの活用を目に見える形で示したいという意図があったと推測される。

    Vista AeroにはDirectX9サポートのGPUが必須だった。DirectX9対応により、アルファチャンネル(透明度)の扱い、ベクターデータの処理、ハードウェアによる3D処理が可能となり、それらを視覚的に表現したのがAeroであった。

    Windows Vistaは、まさに先進的すぎたと言える。当時の一般的なPCのハードウェア性能やインターネット環境、そしてバッテリー技術は、Aeroのような高負荷なデザインを快適に実現するレベルには追いついていなかった。

    高性能化がもたらした課題

    GPU必須化はデメリットも生んだ。

    • バッテリー消費増大:GPUの電力消費がPCの稼働時間を短縮させた(一部ノートPCではGPUの切り替えで対応)。
    • ファイルサイズの巨大化:グラデーションなど複雑な表現が増え、画像ファイルサイズが大きくなった。貧弱なネット環境では使い勝手が悪くなる一因でもあった。

    Liquid Glassと時が解決した課題

    そして、満を持してのApple Liquid Glassである。現代において、Liquid Glassを実現できるほどのGPU性能は、Vista時代のような極端なバッテリー消費増には繋がりにくい。また、ネット環境も高速化しているため、ファイルサイズの増大も大きな問題とはならない。Vista時代にデザインの高性能化が抱えていた課題は、時間の経過と技術の進化が解決してくれたと言える。

    フラットデザインの正当性

    Liquid Glass以前、Appleが推進していたフラットデザインは、その当時は正しかった。

    • 低消費電力:画面描画の負荷が少なく、消費電力が抑えられた。
    • 小ファイルサイズ:アイコンなどのファイルサイズが小さく済んだ。

    多くの企業ロゴや製品ロゴがフラットデザイン化したのも、ファイルサイズを少しでも小さくしようという努力の影響があったと見ている。

    デザインの揺り戻し

    画面デザインの歴史は、シンプル(Vista以前)透け透け(Vista Aero)シンプル/フラット → **透け透け(Liquid Glass)**と変遷している。今後も「シンプルな方が見やすい」という意見が優勢になれば、再びフラットデザインへと回帰することは十分ありえるだろう。


    プログラミング言語の回帰

    プログラミングの世界でも「回帰」の議論がある。それが「動的開発言語が良いか?静的開発言語が良いか?」という数十年来のテーマだ。

    現代ではCPUやメモリリソースが潤沢になり、動的言語の方が「使いやすい」「とっつきやすい」というメリットがある。しかし、その「とっつきやすさ」が読みにくいコーディングを生む原因にもなりかねず、結果として「やはり静的開発言語だ」という揺り戻しが生じる。

    個人的には、「1バイトは血の一滴」という思想。リソースを徹底して効率的に利用する静的言語派

  • 己、新聞購読やめるってよ。新聞購読の価値低下の理由

    己、新聞購読やめるってよ。新聞購読の価値低下の理由

    「自業自得」?新聞購読者減少の裏側と、紙媒体の真の価値

    近頃、一般新聞の購読者数が減少しているというニュースをよく耳にする。ある意味、これは「自業自得」とも言える状況かもしれない。なぜなら、多くの新聞社は、ネットでニュースが読める現代において、紙媒体である自分たちの真の長所を理解しきれていないように見えるから。

    ネットがあれば無料で、しかもリアルタイムにニュースが手に入る時代。なぜわざわざ物理的な新聞を購読するのか?その答えを見出せていないことが、購読数減少の大きな要因。

    新聞の最大の「武器」はレイアウトと網羅性

    実は、物理的な新聞が持つ最大の価値は、そのレイアウト(紙面構成)にある。たった30ページ程度の限られたスペースで、前日の主要なニュースを満遍なく、偏りなくカバーしている。これこそが、紙の新聞の最大のメリット。

    ネットニュースに頼りきっていると、私たちはどうしても「自分から興味のあるニュース」だけを能動的に読みにいくことになる。その結果、興味のないジャンル、例えばスポーツの結果や経済の動向など、「情報がまったく入ってこないジャンル」が存在してしまうという大きな欠点がある。

    一方、物理的な新聞であれば、ページをめくるという行為の中で、たとえ興味がなくても、スポーツの結果や政治のニュースのタイトルだけでも否応なく目に入ってくる。これにより、自分の関心の外にあったニュースにも「少なくとも何かがあった」という認識を持てるのだ。この「興味のないニュースとも出会える状況」をつくれることこそが、紙媒体の新聞が持つ、情報摂取における最大の利点。

    地域の情報と広告も重要な役割

    そして、もう一つの大きな利点が「地元の広告」、特にスーパーマーケットなどのチラシだ。これもネットで見られるようにはなったが、「能動的にそのサイトやアプリを開いて読みにいく」のは意外と大変。

    それに比べ、新聞に折り込まれて物理的に配信されてくるチラシは、有無を言わさず目に入り、何しろ目立つ。見やすさという点でも優位性がある。

    しかし、皮肉なことに、購読数の減少に伴い、スーパーマーケット側も宣伝効果の薄れを感じ、費用対効果の高いネット広告へと切り替える傾向にある。チラシが減る → チラシを目当てにしていた購読者が減る →さらに購読数が減る → 広告効果が薄れるという悪循環に陥っているのが現状。

    変われない体質からの脱却を

    話は変わるが、現状の新聞社が「イケてない」と思われてしまう理由の一つには、「変われない体質」がある。未だに「夕刊」を続けていることなどに、その体質が色濃く現れていると言える。ネット時代における情報提供のあり方として、その役割がどこまで残っているのか、真剣な検討が必要だ。

    新聞が生き残る道

    では、どうすれば新聞の購読数を回復できるのか?

    結局のところ、新聞が強力に押し出すべきメリットは「物理的に毎日決まった時間に届く」ことと、「偏りなく一般的なニュースを網羅できる」という、紙媒体だからこその根源的な利点を再認識し、強化することに尽きる。

    この「情報との偶然の出会い」を提供し、「情報の偏り」を是正できるというメリットをしっかり打ち出していけば、紙の新聞はネットニュースとも十分に「戦える」はず。